Our Neighbors

fu do ku kan Bamboo 須田さん

私たちのネイバーズ(隣人たち)をみなさんに紹介するこの企画。記念的第1回は、周南市市街地から北へ30分あまりの須金地区で農業を営みながら、fu do ku kan Bambooという農家民宿やカフェを運営されている須田さんです。須田さんとロータスは周南市湯野で開催されるイベントで出会いました。私たちもめったに足を運ばない山間部へ7年前関東からIターンされたということ。ナチュラルライフの中にもしっかりとした知性と哲学を持たれている所に惹かれます。今年の夏はロータス社員全員でfu do ku kan Bambooを訪れ、その自然を楽しみました。今回改めて、須田さんに取材をさせていただくことになりました。

 

 

須田さんは7年前東北大震災の後、周南に移住されたとか。
そうです。それまでは妻と3歳の娘、そして生まれたばかりの長男と千葉の松戸というところにいました。職場は夫婦ともに首都圏でいわゆる都会的な生活を送っていました。そこへ震災が襲ってきて、福島第一原発がメルトダウンを起こしたんです。その後松戸周辺に放射能のたまる場所が存在することが明らかになり、放射能のことをあまり心配せずに、のびのび子育てできる土地にいきたいと思ったんです。そんな時元々僕の実家がブルーベリーなどを栽培する兼業農家だったこともあり、農業が身近な存在だったので、じゃあ西の方へ移住して自給自足的な生活をやってみようという話になり、いろいろな土地を検討した結果ここ須金地区に移り住んだ次第です。

 

 

最初、須金に来てどんな感じですか。
最初の2年半は市営住宅を紹介されて、なしとぶどうを栽培する農家で働きました。いつか実家群馬へ帰るときに役立てればくらいに思っていました。
そして少しづつ家族もいっしょにこの土地に慣れていくに従って、この農地使っていいよとか、この家空いてるとか、いろいろなオファーがいただけるようになったんです、須金は夏になると県外からもなし狩りやぶどう狩りで賑わう土地なんです。7月〜10月だけで40000人の観光客がこの集落を訪れます。住みついて2年半がたったころ、僕たちはぶどう園を退職し、自分の田畑で栽培したコメと野菜で調理したランチボックスを須金を訪れる観光客に提供することをはじめたんです。当時山口県ではまだあまりなかったキッチンカーも用意して、オフシーズンの時には山を降りて様々なイベントにも参加しました。ロータスリーフの中野さんにお会いしたのはそのころでした。

 

 

今では、グリーンカレーのバンブーさんと認識される方も多いと思うのですが、そのあたりを教えていただけますか。
ランチボックスの仕事は僕たちの生活をとても安定させてくれました。しかし2つの問題を抱えていました。ひとつはお弁当作りと農作業でとても朝がはやく、多くの時間を拘束されること。もう1つは須金があまりに山奥なので、猿やイノシシの鳥獣被害にひどく悩まされてきたことです。そこで以前が思い描いていた第6次産業に取り組んでみようと、鳥獣被害のないとうがらしの栽培を始めたんです。初めての経験でしたが、思考錯誤を繰り返しなんとか最初の収穫をグリーンカレーのペーストととして発売することができました。

 

 

最近テレビや地元の雑誌などでよく紹介されているのを見かけますが。
そうなんです。最初の年に1000瓶のカレーペーストを作りましたが、おかげさまで県内だけで完売することができました。これ、けっこうイケるかもということで、今は4倍の生産量を目指しています。唐辛子の品種も30種になりました。唐辛子にはもともと魔除けの意味があるといわれますが、最近では唐辛子に自分自身が操られているような気持ちになっています。どんどん品種を増やして、どんどん栽培して、どんどん世に広めよと、唐辛子に言われているような。これからは、ホットソースも作ってきたいと思っています。ピザやスパゲティや、それから和食にも使えるような感じのもの。たとえば柚子胡椒のかわりとかね。

 


 

ご家族のこと。将来のことについてお聞かせ願えますか。
関東にいるときは、専門書籍の出版社に勤めていました。だから子供が生まれたら、たくさんの良い経験をさせて、さまざまな価値観に触れさせたいと思っていました。もちろん自然もその中のひとつです。須金に来て、不便さも含めて自然の摂理を経験できたことは子供達をとても成長させたと思います。夜になれば、静かな自宅で過ごします。1日の1/3は情報のシャワーを切断し、家族でたわいもないことをお話できる時間はとても貴重です。一方で、文化的な経験の機会が少ないのも事実です。そこで私たちは自作の農作物で調理したお料理をお出しする宿とcafeを始めました。またWWOOFという制度に参加し、ホスト登録をしました。これは、一宿一飯のバーターとして我が家にお手伝いを提供していただくというシステムです。すると世界中からバックパッカーが集まってきました。日本はもちろん、アジアやヨーロッパから。ドイツやフランス人、香港や台湾人です。そうすると決まって共通の話題になるのが、とうがらしについて。今世界では数百種を超える品種があると言われ、食べ方も様々です。そんな話を聞いているうちに、この須金から発信して世界を唐辛子で繋げることや、唐辛子で地域を起こし、住人を幸せにする、そんな事も夢ではないなと思えてきたのです。

 

 

これまで竹のお話は出てこなかったのですが、Bambooという屋号には由来があるのですか。
首都圏にいた頃から田舎を巡るのが好きでした。共通して言えることは、竹は日本中どこにでも生息しているのですが、どこへ行っても住む人の厄介な存在だということです。都会から突然パラシュート的にこの地に舞い降りてくる私たち家族はここに暮らす人たちからすれば厄介な存在かもしれないと思ったのです。まずはそのことを僕たちが自覚しようと。そしてその上で、厄介な竹でもちょっとしたアイデアや使い方で人の役に立てるころができるのではないか。僕たちはそんな存在になれたらいいなと思ったのです。唐辛子の栽培を通して、そんなことも少しづつですが、実現できそうです。